反省しました
ようこそお越しくださいました。
まず、みなさんへお詫びです。
私は自分のブログを読んでくださったみなさんが、ほわっと幸せを感じて笑顔を浮かべてくれるような。。。そんな日々の氣づきを連ねたいとおもい、『幸せを創造していく鍵は自分自身を愛おしく感じられる日々の積み重ね』というテーマでこの 『KEY ~鍵~ 』 というブログを立ち上げました。
なのに。。。。昨日のブログでは。。。自分の感情のおもむくままに自分の不快なことをそのまま言葉にして伝えてしまいました。反省してます。。。。言葉の影響や、みなさんの幸せへの氣づきを促すにはあまりにも自分中心の話題だったなぁと。。。。今日はなんだかすっきりしない氣持ちでしたが。。。一度連ねた言葉は取り消されるものでもなく。。。。言霊を無視した内容だったと反省です。
このような心の変化を受け止めながら。。。。私は何に対してあんなにっていたのだろうと。。ふと冷静に考えてみました。
誰かが悲しんでいたり、無理な我慢を強いることをしているとしたら。。。
そんな言葉を昨日は書き、そんな犠牲の上に成り立つ自分勝手な幸せ。。。それでいいんだろうかと感じたのは事実です。
でも、今日ふと思いました。 私は何なのだろう。。。。と。
当たり前のように美辞麗句を並べて、まるで裁判官のようにその人の人生を諭している私はどうなんだろうって。
これまで、自分が幸せを得ようと動いたりした時、誰かを犠牲にしたり、その人の気持ちを推し量ることなく我慢させていることにさえ氣づけなかった、悲しませなかったことは一度もなかったのだろうかということをふと考えて思ったのです。
そして、そもそも、人の人生の基準。。。どんなことで判断しているのかは誰も形の定まらないものであって、その形を作り上げる過程がその人の人生であるのかもしれなくて。。。。なおさら、物事の一つのピースで感情的に判断できるものでもない訳で。。。。。そのピースがどんな場面の一部分であるのかはすべてが一枚の絵になった時でないとわからないものであって。。。。
ただ、自分が大事に扱われていないのではないかという点に焦点を当ててしまったのかもしれないなぁと。。思いました。上司や彼女の関係がどうとか。。。嘘で固められている中では楽しめないとかということは一つの要因にはなっても。。。。私が旅行を楽しめないこととは別の問題であって、本当は、そんな環境の中でも、私は私らしくその時間を思いっきり楽しんだり、目にするものに感動を伝えたりしたら良かったのです。
まだまだ自分の感情につかまってしまい、それを正当化しようとする自分がいます。
誰かのせいにしたからといって、結局は自分自身がいや~な醜い感情に追い込まれそうになることぐらいわかってきているにも関わらずです。楽な訳ではないということもわかっているのになぁ。。。。。
でも、こうして、不快と思われる物事の中から肯定的な意図に氣づいていくこと、そして、自分をあるべきところへと修正していくことが以前よりは早くできるようになれているのではないかな。。。。
これから、自分自身の幸せを創造していくことをしていく。。。そして、出会えたみなさんにも、自分自身を愛することを得意になって貰いたいので、そんな場所や機会を提供していく活動をしていこうと思って『KEY』を拡げていこうとする時、このことは誰かの幸せのために貢献できることか。。。このことをすることでどんな影響があるのか。。。自分だけが良くなることではないか(エゴを基本にした望む成果ではないか?)。。。。エコロジーチェックをして、それでもみんなが笑顔になれることであるかを考えよう。。。心がけようといういい例を今回の旅行で私自身が体験させて貰えたのかもしれないと思ったのです。
そして、自分にもこういう傲慢なところがあるかもしれないということに氣づいたうえで、人や物事に関わることに謙虚さを欠かないように。。。と。。
明日からの日記、そういうところからも、私の日々のつぶやきを心待ちにしてくださるように、そして、少しでもその内容を何らかのエネルギーにしていただけるように、楽しく綴っていけたらいいなぁと思っています。
これからも、こんな私ですが、あたたかく見守っていただければです。
よろしくお願いします。
みなさまに幸せの鍵を渡すことができるような。。。そんな私自身でありますようにこれからも精進します。
まず、みなさんへお詫びです。
私は自分のブログを読んでくださったみなさんが、ほわっと幸せを感じて笑顔を浮かべてくれるような。。。そんな日々の氣づきを連ねたいとおもい、『幸せを創造していく鍵は自分自身を愛おしく感じられる日々の積み重ね』というテーマでこの 『KEY ~鍵~ 』 というブログを立ち上げました。
なのに。。。。昨日のブログでは。。。自分の感情のおもむくままに自分の不快なことをそのまま言葉にして伝えてしまいました。反省してます。。。。言葉の影響や、みなさんの幸せへの氣づきを促すにはあまりにも自分中心の話題だったなぁと。。。。今日はなんだかすっきりしない氣持ちでしたが。。。一度連ねた言葉は取り消されるものでもなく。。。。言霊を無視した内容だったと反省です。
このような心の変化を受け止めながら。。。。私は何に対してあんなにっていたのだろうと。。ふと冷静に考えてみました。
誰かが悲しんでいたり、無理な我慢を強いることをしているとしたら。。。
そんな言葉を昨日は書き、そんな犠牲の上に成り立つ自分勝手な幸せ。。。それでいいんだろうかと感じたのは事実です。
でも、今日ふと思いました。 私は何なのだろう。。。。と。
当たり前のように美辞麗句を並べて、まるで裁判官のようにその人の人生を諭している私はどうなんだろうって。
これまで、自分が幸せを得ようと動いたりした時、誰かを犠牲にしたり、その人の気持ちを推し量ることなく我慢させていることにさえ氣づけなかった、悲しませなかったことは一度もなかったのだろうかということをふと考えて思ったのです。
そして、そもそも、人の人生の基準。。。どんなことで判断しているのかは誰も形の定まらないものであって、その形を作り上げる過程がその人の人生であるのかもしれなくて。。。。なおさら、物事の一つのピースで感情的に判断できるものでもない訳で。。。。。そのピースがどんな場面の一部分であるのかはすべてが一枚の絵になった時でないとわからないものであって。。。。
ただ、自分が大事に扱われていないのではないかという点に焦点を当ててしまったのかもしれないなぁと。。思いました。上司や彼女の関係がどうとか。。。嘘で固められている中では楽しめないとかということは一つの要因にはなっても。。。。私が旅行を楽しめないこととは別の問題であって、本当は、そんな環境の中でも、私は私らしくその時間を思いっきり楽しんだり、目にするものに感動を伝えたりしたら良かったのです。
まだまだ自分の感情につかまってしまい、それを正当化しようとする自分がいます。
誰かのせいにしたからといって、結局は自分自身がいや~な醜い感情に追い込まれそうになることぐらいわかってきているにも関わらずです。楽な訳ではないということもわかっているのになぁ。。。。。
でも、こうして、不快と思われる物事の中から肯定的な意図に氣づいていくこと、そして、自分をあるべきところへと修正していくことが以前よりは早くできるようになれているのではないかな。。。。
これから、自分自身の幸せを創造していくことをしていく。。。そして、出会えたみなさんにも、自分自身を愛することを得意になって貰いたいので、そんな場所や機会を提供していく活動をしていこうと思って『KEY』を拡げていこうとする時、このことは誰かの幸せのために貢献できることか。。。このことをすることでどんな影響があるのか。。。自分だけが良くなることではないか(エゴを基本にした望む成果ではないか?)。。。。エコロジーチェックをして、それでもみんなが笑顔になれることであるかを考えよう。。。心がけようといういい例を今回の旅行で私自身が体験させて貰えたのかもしれないと思ったのです。
そして、自分にもこういう傲慢なところがあるかもしれないということに氣づいたうえで、人や物事に関わることに謙虚さを欠かないように。。。と。。
明日からの日記、そういうところからも、私の日々のつぶやきを心待ちにしてくださるように、そして、少しでもその内容を何らかのエネルギーにしていただけるように、楽しく綴っていけたらいいなぁと思っています。
これからも、こんな私ですが、あたたかく見守っていただければです。
よろしくお願いします。
みなさまに幸せの鍵を渡すことができるような。。。そんな私自身でありますようにこれからも精進します。
幸せなら。。それでいいのかな?
ようこそお越し下さいました。
ここ数日ブログ更新できていなかったのは。。。。。毎年恒例、A美O島で開かれるSマラソンに出場する上司の応援を兼ねて、A美O島へ職場で出かけていたわけです。
ただ、ただ、そこにはいろいろな人間関係が交錯しているわけで。。。。ここが氣の合う仲間たちと企画するイベント旅行とは違いますね。。。。。。。。。旅費をいくら福利厚生費で負担していただけたとしても。。。俗にいう『愛人さん』を引き連れてくる上司にまず。。。。知らないふりすべき。。。それとも。。。知っているそぶりで何気に合わせていたほうがいいのかな。。。。あ~面倒くさい。。。楽しめないよ~。。。。昔からの知り合いと紹介されても。。。。わかるでしょう、その距離感見れば。。。ばかにされてんのかしら。。私たち。。。。自由時間もあるようで拘束されてて無いようなものだし。。。
ましてや、その愛人さんにはがきを貰いました。『T館にT美の食材を使った料理やお酒を出すようなお店を出すの』
『?とうとうそこまで来たのね。。。。マンションをあてがい。。。たまにしか来ない仕事に対し数万円ものアルバイト料を支払い。。。とうとうお店出店への援助ですかぁ。。。。どうしてこういうところにひっかかっているんだろう。。。。うちの上司。。。。もう還暦なのに。。。以前はセクハラまがいなことも平気でやってきていた。。。自分の娘さんと同じくらいの子供もいる人と(最近はその子供も同行しているようで。。)、旅行にもよく行っているのだけれど。。。家庭とこういう関係を両立することでしか自分の居場所を確保できない上司って。。。。実は寂しい人生?。。。そんな職場で働いている私は何をここで知らなきゃならないのだろう。。。。。
こんなこと知らずに元気に明るく笑顔で仕事をしたいなぁ。。。。辞めるまでは。。。。そんなことを考えてました。
こんなことを愚痴る私自身にもうんざりです。みなさんにもごめんなさい。今回だけをクールダウンするために。。。。申し訳ない。
他のひとのうわさになっているのをこわがらず、やりたいことをこうも堂々とやりぬく二人を見ながら。。。。我慢したり、氣をつかったりするほうがばかを見ているような感覚に陥り。。。どっと疲れた二泊三日でした。
本当は楽しいはず。
青い海、人懐っこい人々との会話、おいしい料理、S唄などもありました。
でも。。。。みんなで来ているこの時間。。。。楽しむのはみなそれぞれ。。。心をあわせて楽しみたいと思っても嘘で固めたその空間。。。でもみな笑ってる。。。。本当に楽しめているのならすごい。。。こんな空気に抵抗を感じて反抗してみたくなる私のほうがおかしいのかな。。。。でも、自分に嘘をついてまで楽しいふりができないのだから仕方ない。。。今度は純粋に島を楽しめる時間を過ごすために、またここへ旅をしに来よう。。。そう思ったのです。
人は弱いから。。。いろいろなところへ逃げ込みたくなるものなのかもしれないけれど、その影で誰かが悲しんだり、無理な我慢を強いているならそれはきっと自分のエゴを満たすためだけの喜びで、そこで終わりだと想う。
ピュアに。。。。誰もがその人のことを好きで。。。その人を目標にしたり。。。やっぱり人間としての真価を問われたときに神様にOKを出して貰えるような自分でいられたらいい。
男と女。。。上司とこの女性は何を求めて繋がっている同士なのだろう。。。人生楽しまなきゃとは思うけれど、それでいいのだろうか。。。。自己満足の世界と自他を活かす世界の違いは何なのだろう。。。そんなことを思った今回の旅行でした。
ここ数日ブログ更新できていなかったのは。。。。。毎年恒例、A美O島で開かれるSマラソンに出場する上司の応援を兼ねて、A美O島へ職場で出かけていたわけです。
ただ、ただ、そこにはいろいろな人間関係が交錯しているわけで。。。。ここが氣の合う仲間たちと企画するイベント旅行とは違いますね。。。。。。。。。旅費をいくら福利厚生費で負担していただけたとしても。。。俗にいう『愛人さん』を引き連れてくる上司にまず。。。。知らないふりすべき。。。それとも。。。知っているそぶりで何気に合わせていたほうがいいのかな。。。。あ~面倒くさい。。。楽しめないよ~。。。。昔からの知り合いと紹介されても。。。。わかるでしょう、その距離感見れば。。。ばかにされてんのかしら。。私たち。。。。自由時間もあるようで拘束されてて無いようなものだし。。。
ましてや、その愛人さんにはがきを貰いました。『T館にT美の食材を使った料理やお酒を出すようなお店を出すの』
『?とうとうそこまで来たのね。。。。マンションをあてがい。。。たまにしか来ない仕事に対し数万円ものアルバイト料を支払い。。。とうとうお店出店への援助ですかぁ。。。。どうしてこういうところにひっかかっているんだろう。。。。うちの上司。。。。もう還暦なのに。。。以前はセクハラまがいなことも平気でやってきていた。。。自分の娘さんと同じくらいの子供もいる人と(最近はその子供も同行しているようで。。)、旅行にもよく行っているのだけれど。。。家庭とこういう関係を両立することでしか自分の居場所を確保できない上司って。。。。実は寂しい人生?。。。そんな職場で働いている私は何をここで知らなきゃならないのだろう。。。。。
こんなこと知らずに元気に明るく笑顔で仕事をしたいなぁ。。。。辞めるまでは。。。。そんなことを考えてました。
こんなことを愚痴る私自身にもうんざりです。みなさんにもごめんなさい。今回だけをクールダウンするために。。。。申し訳ない。
他のひとのうわさになっているのをこわがらず、やりたいことをこうも堂々とやりぬく二人を見ながら。。。。我慢したり、氣をつかったりするほうがばかを見ているような感覚に陥り。。。どっと疲れた二泊三日でした。
本当は楽しいはず。
青い海、人懐っこい人々との会話、おいしい料理、S唄などもありました。
でも。。。。みんなで来ているこの時間。。。。楽しむのはみなそれぞれ。。。心をあわせて楽しみたいと思っても嘘で固めたその空間。。。でもみな笑ってる。。。。本当に楽しめているのならすごい。。。こんな空気に抵抗を感じて反抗してみたくなる私のほうがおかしいのかな。。。。でも、自分に嘘をついてまで楽しいふりができないのだから仕方ない。。。今度は純粋に島を楽しめる時間を過ごすために、またここへ旅をしに来よう。。。そう思ったのです。
人は弱いから。。。いろいろなところへ逃げ込みたくなるものなのかもしれないけれど、その影で誰かが悲しんだり、無理な我慢を強いているならそれはきっと自分のエゴを満たすためだけの喜びで、そこで終わりだと想う。
ピュアに。。。。誰もがその人のことを好きで。。。その人を目標にしたり。。。やっぱり人間としての真価を問われたときに神様にOKを出して貰えるような自分でいられたらいい。
男と女。。。上司とこの女性は何を求めて繋がっている同士なのだろう。。。人生楽しまなきゃとは思うけれど、それでいいのだろうか。。。。自己満足の世界と自他を活かす世界の違いは何なのだろう。。。そんなことを思った今回の旅行でした。
やりたいことが見えてきた
ようこそお越しくださいました。
さてさて。。。。無意識からのメッセージは言葉にすることで意識にあがる(具現化しやすくなる)というので、忘れないうちにブログにそのことを書いておくことにします。
今日は、プロコーチの中村公子さんにコーチングセッションを受ける日でした。
昨日のブログにも書きましたが。。。『KEY』という看板で何をまず一番のカラーとして打ち出すか。。。そこを決めないと具体的なイメージもできないだろうということで。。。今日のテーマ、『まずどの道から掘ろうか』。
公子さんから質問。。。「セッションが終わる頃にはあなたはどのようになっていたいですか?」
私。。。「自分でできることを2つぐらいに絞って、それについて具体的に何をするか決められる状態になりたい」
私が出来ることや資格を取っているとか学び中であるもの。。。。まず、NLPコーチング、先日開催できたミニセミナー、コラージュ、レイキ、ロータリークラブやローターアクトクラブでの青少年育成についてのサポート活動、こねこねランドの金田さんのCTNサポート、そしてこねこねランドで習得したカラークレイ(粘土)を使ったなにか。。。
まず、すぐにイメージできるものを考えると、ミニセミナーとレイキ。
「一年後、あなたはそれをどんな場所で、どんな状況でしていますか?またどのような状態になっていますか?」
KEYの認知度をあげている(こういうことをしているところよね~みたいな)
ミニセミナーを定期的にしている。叶うなら土日をフルに使って毎月してる。
「どんなところで?」
イオンやリビング新聞であるようなカルチャースクールみたいなところで講師としてしているとか、公民館とかにも行けたらいいな。。。。あとは、カルチャースクールでのご縁で保育園や託児所みたいなところもいいな。。。。
他には。。。。レイキマスターになっていて。。。ヒーリングとしてレイキをしている私もいるけれど、マスターとしてレイキを伝授しているような指導者としての立場でサポートできる場を創っているという感じもする。。。。
いろいろな質問を受けながらイメージをしていくとこの二つは明日からでもすぐに実現できそうな氣がして、「今どんな音楽が流れていますか?」と聞かれた答えは「しいてあげるならロッキーのテーマかな」だった。
そう、ここまででもうコーチングセッションの中盤、以外と早く自分の腑に落ちるポイントに辿りついてしまった。
「一年後にやっているべきことが2つぐらいに絞れていれば。。ということでしたが、ほかになにかありますか?」
「実は。。。まだ具体的にどうするべきか?なのですが、どうしてもはずせないと感じる粘土が。。。どんなふうに提供できるのかなぁと思っていて。
それから残りの時間は、その粘土のことで話を聴いてもらいました。
私が粘土のインストラクターを金田さんのところで習得した時、何に一番惹かれたかという話。
私は粘土で作品を造るのは好きだけれど、それを人に教えるかというと伝えたい楽しさはそれではないのです。
実際。。。粘土を習っている時も、規格通りに造る(基本は大切なのですが。。。)よりも、粘土をさわりながら、その指で感じたものを思いのままの形にして造りたいというタイプでした。つまり見本どおりに造らない。見本では手はしたにあるのに手を振っているように造ってみたり。。。そんな感じです。
その中で、私が魅力を感じ、夢中で楽しんだもの。。。それは、好きなものを粘土で造って、フィールドのような円の土台の上に自由に並べて置いて、ボンドでつけて。。。箱庭のような。。。ジオラマをつくること。。そう。。物語の中の一枚がそこに表現されているようなその作業が一番楽しかったのです。
その中では、たとえ女の子の顔が身体よりも大きくアンバランスでも、隣に小さな樹を持ってくれば、その中からまたいろいろなストーリーができあがるみたいな拡がる世界が楽しくて、ジオラマを上から眺めると、ホントにそこに拡がるおとぎの国やストーリー性のあるメッセージが感じられるのが好きで。。。。そう。。。こういう時間を粘土で提供したいんだ~~~と、公子さんに熱く語るなかで氣づきました。
「早速、子供たちの夏休みに何か粘土イベントをしてみたらどうかしら」と公子さん。
そして、「するとして、どんな広告にしますか。そこにはどんな言葉をかきますか?」。。。なるほど。。。どんな言葉を載せるかな。。。。「夏休みの一日を形にしませんか」かなぁ。。。。描く絵は、カブトムシ、キャンプ地の樹、川、海の中のお魚さん、笑顔の子供たちの顔だけ、お父さん、お母さんも小さく載せようかな。。。
そのことで何を伝えたいのかを考えてみた。
① 夏休みの一日を粘土で表現することで、子供が体験したことをその瞬間では体験した感覚だけが想いでに 残っているけれど、それを想い出しながら形にしていくと、その時に聴こえたセミの声や誰かの笑顔、いろいろな周りの風景や想いでもそういえば。。。みたいな感じでつながって、すごく強い思いでとして再体験できる。
② 再体験することは、例えば家を造る土台になる柱のように、上から金槌でトントンと柱を打ち込んでいくような、念を押してピタッとはめこむような。。。そんな記憶となって、身体のなかに埋め込まれて強く生きるはず。
③ その記憶は例えば、鉄や錆びるような釘ではなく、金の釘で、その子が大きくなってもさびずに強いまま埋めこまれていて、どんなことにあってもその金色が朽ちることはなく、いつまでもそこで土台を支えている。
④ 金色の釘は、たとえ、その子が寿命をまっとうして焼かれても、熱で形は変わっていたとしても変わらずにそこに金色に光をとどめて存在していて、それを誰かがすべての意味を受け継いでまたつないでいく。
⑤ そんな記憶を細胞に刻みこませることが粘土でジオラマを造り、その物語をそこから感じることで残せるのではないかと私は感じている。
そうなのね。。。コラージュ然り、粘土のジオラマづくり然り。。。型にはまらず、自分の思うままに自由にその世界を描いていく、自由なようでもそこには確かに再体験している記憶、物語がある。。。そのことを意味があると私は感じているんだ。
それは多分、子供たちだけでなく、大人にも必要な体験なのではないかな。。。
金の釘をもしそういう時間のなかから打ち込めるのだとしたら、年齢は関係ない。生きているのだから。
金は、錆びない、強い、固い、でも熱を加えてどんな形にも加工できる柔らかさをもつがその輝きは変わらない。。価値ある鉱石ともいわれるし。。。聞いたところによると、金についてはほかの鉱石と異なり、まだまだ解明されていないことが多い神秘のベールに包まれているものらしい。。。
そんなところも、不確かさの多い、それでも愛の存在であるという『SELF(自己)』と重ならないだろうか。。。。
コーチングセッションで始まるまでは考えてもいなかった言葉を自分でしゃべっていることに驚きつつ。。。。夏休みの時期。。。。まずはそんなイベントを計画してやってみようかなと決意したところなのです。さて。。。。イオンカルチャーセンターにこの企画。。。持ちこんでみようかな。。。それとも。。。。
一年後には、『KEY』がそういう意味で認知されているような状況になるように動いていくぞぉ
さてさて。。。。無意識からのメッセージは言葉にすることで意識にあがる(具現化しやすくなる)というので、忘れないうちにブログにそのことを書いておくことにします。
今日は、プロコーチの中村公子さんにコーチングセッションを受ける日でした。
昨日のブログにも書きましたが。。。『KEY』という看板で何をまず一番のカラーとして打ち出すか。。。そこを決めないと具体的なイメージもできないだろうということで。。。今日のテーマ、『まずどの道から掘ろうか』。
公子さんから質問。。。「セッションが終わる頃にはあなたはどのようになっていたいですか?」
私。。。「自分でできることを2つぐらいに絞って、それについて具体的に何をするか決められる状態になりたい」
私が出来ることや資格を取っているとか学び中であるもの。。。。まず、NLPコーチング、先日開催できたミニセミナー、コラージュ、レイキ、ロータリークラブやローターアクトクラブでの青少年育成についてのサポート活動、こねこねランドの金田さんのCTNサポート、そしてこねこねランドで習得したカラークレイ(粘土)を使ったなにか。。。
まず、すぐにイメージできるものを考えると、ミニセミナーとレイキ。
「一年後、あなたはそれをどんな場所で、どんな状況でしていますか?またどのような状態になっていますか?」
KEYの認知度をあげている(こういうことをしているところよね~みたいな)
ミニセミナーを定期的にしている。叶うなら土日をフルに使って毎月してる。
「どんなところで?」
イオンやリビング新聞であるようなカルチャースクールみたいなところで講師としてしているとか、公民館とかにも行けたらいいな。。。。あとは、カルチャースクールでのご縁で保育園や託児所みたいなところもいいな。。。。
他には。。。。レイキマスターになっていて。。。ヒーリングとしてレイキをしている私もいるけれど、マスターとしてレイキを伝授しているような指導者としての立場でサポートできる場を創っているという感じもする。。。。
いろいろな質問を受けながらイメージをしていくとこの二つは明日からでもすぐに実現できそうな氣がして、「今どんな音楽が流れていますか?」と聞かれた答えは「しいてあげるならロッキーのテーマかな」だった。
そう、ここまででもうコーチングセッションの中盤、以外と早く自分の腑に落ちるポイントに辿りついてしまった。
「一年後にやっているべきことが2つぐらいに絞れていれば。。ということでしたが、ほかになにかありますか?」
「実は。。。まだ具体的にどうするべきか?なのですが、どうしてもはずせないと感じる粘土が。。。どんなふうに提供できるのかなぁと思っていて。
それから残りの時間は、その粘土のことで話を聴いてもらいました。
私が粘土のインストラクターを金田さんのところで習得した時、何に一番惹かれたかという話。
私は粘土で作品を造るのは好きだけれど、それを人に教えるかというと伝えたい楽しさはそれではないのです。
実際。。。粘土を習っている時も、規格通りに造る(基本は大切なのですが。。。)よりも、粘土をさわりながら、その指で感じたものを思いのままの形にして造りたいというタイプでした。つまり見本どおりに造らない。見本では手はしたにあるのに手を振っているように造ってみたり。。。そんな感じです。
その中で、私が魅力を感じ、夢中で楽しんだもの。。。それは、好きなものを粘土で造って、フィールドのような円の土台の上に自由に並べて置いて、ボンドでつけて。。。箱庭のような。。。ジオラマをつくること。。そう。。物語の中の一枚がそこに表現されているようなその作業が一番楽しかったのです。
その中では、たとえ女の子の顔が身体よりも大きくアンバランスでも、隣に小さな樹を持ってくれば、その中からまたいろいろなストーリーができあがるみたいな拡がる世界が楽しくて、ジオラマを上から眺めると、ホントにそこに拡がるおとぎの国やストーリー性のあるメッセージが感じられるのが好きで。。。。そう。。。こういう時間を粘土で提供したいんだ~~~と、公子さんに熱く語るなかで氣づきました。
「早速、子供たちの夏休みに何か粘土イベントをしてみたらどうかしら」と公子さん。
そして、「するとして、どんな広告にしますか。そこにはどんな言葉をかきますか?」。。。なるほど。。。どんな言葉を載せるかな。。。。「夏休みの一日を形にしませんか」かなぁ。。。。描く絵は、カブトムシ、キャンプ地の樹、川、海の中のお魚さん、笑顔の子供たちの顔だけ、お父さん、お母さんも小さく載せようかな。。。
そのことで何を伝えたいのかを考えてみた。
① 夏休みの一日を粘土で表現することで、子供が体験したことをその瞬間では体験した感覚だけが想いでに 残っているけれど、それを想い出しながら形にしていくと、その時に聴こえたセミの声や誰かの笑顔、いろいろな周りの風景や想いでもそういえば。。。みたいな感じでつながって、すごく強い思いでとして再体験できる。
② 再体験することは、例えば家を造る土台になる柱のように、上から金槌でトントンと柱を打ち込んでいくような、念を押してピタッとはめこむような。。。そんな記憶となって、身体のなかに埋め込まれて強く生きるはず。
③ その記憶は例えば、鉄や錆びるような釘ではなく、金の釘で、その子が大きくなってもさびずに強いまま埋めこまれていて、どんなことにあってもその金色が朽ちることはなく、いつまでもそこで土台を支えている。
④ 金色の釘は、たとえ、その子が寿命をまっとうして焼かれても、熱で形は変わっていたとしても変わらずにそこに金色に光をとどめて存在していて、それを誰かがすべての意味を受け継いでまたつないでいく。
⑤ そんな記憶を細胞に刻みこませることが粘土でジオラマを造り、その物語をそこから感じることで残せるのではないかと私は感じている。
そうなのね。。。コラージュ然り、粘土のジオラマづくり然り。。。型にはまらず、自分の思うままに自由にその世界を描いていく、自由なようでもそこには確かに再体験している記憶、物語がある。。。そのことを意味があると私は感じているんだ。
それは多分、子供たちだけでなく、大人にも必要な体験なのではないかな。。。
金の釘をもしそういう時間のなかから打ち込めるのだとしたら、年齢は関係ない。生きているのだから。
金は、錆びない、強い、固い、でも熱を加えてどんな形にも加工できる柔らかさをもつがその輝きは変わらない。。価値ある鉱石ともいわれるし。。。聞いたところによると、金についてはほかの鉱石と異なり、まだまだ解明されていないことが多い神秘のベールに包まれているものらしい。。。
そんなところも、不確かさの多い、それでも愛の存在であるという『SELF(自己)』と重ならないだろうか。。。。
コーチングセッションで始まるまでは考えてもいなかった言葉を自分でしゃべっていることに驚きつつ。。。。夏休みの時期。。。。まずはそんなイベントを計画してやってみようかなと決意したところなのです。さて。。。。イオンカルチャーセンターにこの企画。。。持ちこんでみようかな。。。それとも。。。。
一年後には、『KEY』がそういう意味で認知されているような状況になるように動いていくぞぉ
羅針盤を胸に。
ようこそお越しくださいました。
今晩は、ロータリークラブの年度末例会に参加する機会をいただき、行ってまいりました。
ロータリークラブは7月から翌年6月まで一年として活動を組み立てているということもあり、今月で年度末ということになり、今日は通常お昼にある例会を夜にして食事やお酒を交えてという会になっていました。
今日のメインはいくつかありましたが、その中でも20代の青年たちの活動の機会になるローターアクトクラブの発足式というものがあり、学生さんから30歳までの男女が新しいメンバーとして同じ船に乗り、新たな海原へと出航しました。
懐かしく想い出します。
私がローターアクトクラブに入会した19歳の時、そして活動を通していろいろな出会いや場面を体験させて貰った20代の10年間、それはあきらかに今の私の大切な一部を形作っているものです。
先日、CTN(クリエイティブタレントネットワークというこねこねランドの金田さんが主宰している異業種交流会)の司会役を頼まれた時も、このローターアクト時代に培った経験が大いに役に立ちました。
緊張はもちろんしますが。。。。ひとりひとりの緊張をほぐすためにできること。。。。そして、話した事が受け入れられていると感じてもらえるための後のひとことを添えること。。。。無意識に記憶していたこのことがみなさんにとても好意的に受け取っていただけました。
『司会、慣れてるね~』 いえいえ慣れているわけではないのです。。。。ただ、型どおりの言葉ではなく、そこにきちんと温度を与えていくことをこの時代に教わり、それが15年後の今でも忘れずにできるということを自分でも自覚できたことが嬉しいでした。
思えば、260人ぐらいの前で話をしたこともあったっけ。。。。活動を通して自分が学んだことだったけな。。。。あの時の緊張はすごかったけれど。。。。同時に話しながら周りの音が聴こえなくなった瞬間とかあったなぁ。。。。集中していたのか、みんなと呼吸が合いその時だけ時間が止まったように感じたのか。。。。不思議な体験でした。
今晩船出した若者たち、どんな20代を過ごしていくことになるのだろう。。。初々しさを感じながら見ていました。
私ができることは何だろう。。。
打ち込んだ20代の象徴でもあったローターアクトクラブでの体験で得たもの、それも30歳のお誕生日を迎えると卒業です。
打ち込めば打ち込むほど、卒業した後にも何かつなげたい、誰かのために貢献できる自分でありたいと想う氣持ちのやり場に困ったものでした。
そんな人たちの新たな学びと体験の場、そして誰かの喜びや幸せのためにそのことを使い貢献できる場を。。。活動してきた私たちだからこそ創れるかもしれないなぁと。。。一人のロータリアン(歯科医)の方と話していて感じたりしたところです。
私の活動の機会として立場をとって創った『KEY』
先日はコラボでセミナーをしましたが、こういう若者たちの受け皿を創る役割ももしかしたら出てくるのかもしれません。
話し相手になってくださったロータリアンの言葉がなんだか胸に残りました。
『大変なこともあるかもしれない。でも、実際に活動をしたあなたからの言葉は心に響く。今はローターアクトクラブを卒業したあとに所属するところはない。でも、あなたならその最初の道を創ることをするかもしれないね』
そう。。。。20代のときに感じた。。。。この氣持ち、いい30代を迎えられるように、40代を迎えられるように、50代を迎えられるように。。。。そのために自分らしくあること、それプラス貢献できる何かが自分の中にあるということを感じ続けて発信し続ける。。そんなアンテナを錆びさせたくなくという想い。
行動(アクション)と拡がり、学びと成長、自己研鑽しあえる仲間や友人、そして自分を活かせる場所、それは何歳になっても感じたいと想っていた。
私ができること。。。。『KEY』としての形は流動的にいま動きまくっているけれど、その人の心に灯を灯すことをできるような場を創ること、そして、その方法はひとつではなく、いろいろな方法があってOKということを体感してもらいたい。。。それが『KEY』で出来るという感じだろうか。
いろいろなことを統合していく必要も出てくるかもしれませんが、興味と直感と流れに従って心のままにチョイスしていくことでおのずと道が浮かび上がってくるような氣もしています。
自分の魂に刻まれた羅針盤。。。。信じて進もう。。。行き先はもう、羅針盤が示している。
いましていることは。。。あきらかに自分らしいと自信を持てるので楽観してそのことを信じて進みますよ~。
巻き込まれたい方、いつでも受け入れますよぉ。
創造、そして浄化が私にとっては活動の源のエネルギーのような氣がするし、キーワードだと実感しています。それに壊さなくては創造できないものもあるかも。。。。始まりと終わり、バランスみたいなものを組織するみたいな役割があると先だってのマヤ歴でも言われたなぁ。。。。詳しく知りたい。。。な。
それをもっと具体的にイメージしていくことが多分必要になるし、道を創るにしても全体像を見ることがきっと必要。がむしゃらに掘ればいいというものでもないでしょうし。
一歩ずつですが、大きな氣づきと変容まで近づいているように感じているのです。。。。期待感もある。。。あとはもっと具体的にイメージすることだな。楽しもう。。。それこそ創造することを。
今晩は、ロータリークラブの年度末例会に参加する機会をいただき、行ってまいりました。
ロータリークラブは7月から翌年6月まで一年として活動を組み立てているということもあり、今月で年度末ということになり、今日は通常お昼にある例会を夜にして食事やお酒を交えてという会になっていました。
今日のメインはいくつかありましたが、その中でも20代の青年たちの活動の機会になるローターアクトクラブの発足式というものがあり、学生さんから30歳までの男女が新しいメンバーとして同じ船に乗り、新たな海原へと出航しました。
懐かしく想い出します。
私がローターアクトクラブに入会した19歳の時、そして活動を通していろいろな出会いや場面を体験させて貰った20代の10年間、それはあきらかに今の私の大切な一部を形作っているものです。
先日、CTN(クリエイティブタレントネットワークというこねこねランドの金田さんが主宰している異業種交流会)の司会役を頼まれた時も、このローターアクト時代に培った経験が大いに役に立ちました。
緊張はもちろんしますが。。。。ひとりひとりの緊張をほぐすためにできること。。。。そして、話した事が受け入れられていると感じてもらえるための後のひとことを添えること。。。。無意識に記憶していたこのことがみなさんにとても好意的に受け取っていただけました。
『司会、慣れてるね~』 いえいえ慣れているわけではないのです。。。。ただ、型どおりの言葉ではなく、そこにきちんと温度を与えていくことをこの時代に教わり、それが15年後の今でも忘れずにできるということを自分でも自覚できたことが嬉しいでした。
思えば、260人ぐらいの前で話をしたこともあったっけ。。。。活動を通して自分が学んだことだったけな。。。。あの時の緊張はすごかったけれど。。。。同時に話しながら周りの音が聴こえなくなった瞬間とかあったなぁ。。。。集中していたのか、みんなと呼吸が合いその時だけ時間が止まったように感じたのか。。。。不思議な体験でした。
今晩船出した若者たち、どんな20代を過ごしていくことになるのだろう。。。初々しさを感じながら見ていました。
私ができることは何だろう。。。
打ち込んだ20代の象徴でもあったローターアクトクラブでの体験で得たもの、それも30歳のお誕生日を迎えると卒業です。
打ち込めば打ち込むほど、卒業した後にも何かつなげたい、誰かのために貢献できる自分でありたいと想う氣持ちのやり場に困ったものでした。
そんな人たちの新たな学びと体験の場、そして誰かの喜びや幸せのためにそのことを使い貢献できる場を。。。活動してきた私たちだからこそ創れるかもしれないなぁと。。。一人のロータリアン(歯科医)の方と話していて感じたりしたところです。
私の活動の機会として立場をとって創った『KEY』
先日はコラボでセミナーをしましたが、こういう若者たちの受け皿を創る役割ももしかしたら出てくるのかもしれません。
話し相手になってくださったロータリアンの言葉がなんだか胸に残りました。
『大変なこともあるかもしれない。でも、実際に活動をしたあなたからの言葉は心に響く。今はローターアクトクラブを卒業したあとに所属するところはない。でも、あなたならその最初の道を創ることをするかもしれないね』
そう。。。。20代のときに感じた。。。。この氣持ち、いい30代を迎えられるように、40代を迎えられるように、50代を迎えられるように。。。。そのために自分らしくあること、それプラス貢献できる何かが自分の中にあるということを感じ続けて発信し続ける。。そんなアンテナを錆びさせたくなくという想い。
行動(アクション)と拡がり、学びと成長、自己研鑽しあえる仲間や友人、そして自分を活かせる場所、それは何歳になっても感じたいと想っていた。
私ができること。。。。『KEY』としての形は流動的にいま動きまくっているけれど、その人の心に灯を灯すことをできるような場を創ること、そして、その方法はひとつではなく、いろいろな方法があってOKということを体感してもらいたい。。。それが『KEY』で出来るという感じだろうか。
いろいろなことを統合していく必要も出てくるかもしれませんが、興味と直感と流れに従って心のままにチョイスしていくことでおのずと道が浮かび上がってくるような氣もしています。
自分の魂に刻まれた羅針盤。。。。信じて進もう。。。行き先はもう、羅針盤が示している。
いましていることは。。。あきらかに自分らしいと自信を持てるので楽観してそのことを信じて進みますよ~。
巻き込まれたい方、いつでも受け入れますよぉ。
創造、そして浄化が私にとっては活動の源のエネルギーのような氣がするし、キーワードだと実感しています。それに壊さなくては創造できないものもあるかも。。。。始まりと終わり、バランスみたいなものを組織するみたいな役割があると先だってのマヤ歴でも言われたなぁ。。。。詳しく知りたい。。。な。
それをもっと具体的にイメージしていくことが多分必要になるし、道を創るにしても全体像を見ることがきっと必要。がむしゃらに掘ればいいというものでもないでしょうし。
一歩ずつですが、大きな氣づきと変容まで近づいているように感じているのです。。。。期待感もある。。。あとはもっと具体的にイメージすることだな。楽しもう。。。それこそ創造することを。
初イベント開催できました。ありがとう。
ようこそお越しくださいました。
今日は記念すべき一日になりました。
『KEY』&『いやしの光』コラボでの第1回目のセミナー、スタートです。
私はコラージュを担当、『いやしの光』主宰のひかりちゃんはスポンサーシップ(自分で自分を励ます)ということを担当し、5人の参加者と一緒に、肩ひじを張らずに自らの体験をそのまま語るというスタンスで、しかし、そこにはセミナーを主催する側としてのセンターをしっかり確立しつつ、みなさまと一緒に貴重な時間を過ごさせていただくことができました。本当にみなさんありがとうございました。
NLPコーチングの仲間からはふわりちゃん、こうこちゃん、身内からは私の母、そして従姉、友人からは子育て中の綾子さんと参加していただきました。
特に従姉のお姉ちゃんが体調の悪いなかではあるものの、明るい未来を自分に夢みたいという気持ちを少しでもコラージュやスポンサーシップでのワークの中で感じて帰って貰えたことは嬉しく感じました。
大きな変化を求めて私たちは今回のセミナーを開こうとした訳ではなく、その人にとっての灯を自らが灯そうと思えるような働きかけをできたなら。。。。。ということが一番の願いだったからです。
きっといろいろな変化があると思います。
無意識に働きかけたことで、もしかしたら今、いろいろな想いにかられているかもしれませんが、自らと向き合った今日の数時間の時間が、新たな扉を押そうとする力に変わってくれたらいいな。。。と想います。
少人数ではありましたが、みなさんに語りかけた言葉が今までで一番自分らしい言葉であったことが嬉しいでしたし、参加してくださったみなさんのお顔が終わりに近づくにつれて緊張がほどけてきているように感じられてきたことがまたすごく嬉しいでした。
これからもこのような企画を提供していきたいと思います。
粘土で地球をつくる。。。。。NLPコーチングでのワーク。。。コラージュ。。。アートセラピー。。。。今日の体験を通して、夢中で何か作業をするということと、説明を聴きつつ、ワークをして身体も動かすこと。。。組み合わせることで楽しめる空間を創りだすことができるのだということもわかりました。
私たちにしかできないものをこれからも探求しつつ。。。。みなさんに定期的に継続して貢献できるものを創る。。。それを今後はまた目標にしていきたいなぁと決意も新たにしました。
いろいろな年代の人たちにそういう機会を提供できたらいいなぁ。。。。
みな、本当に夢中になることをしている時は楽しそうでした。
そして、もくもくと集中していました。それも自分自身と対話、コミュニケーションをいつのまにか取りながら。。。
そんな時間を積み重ねていくことに、年齢は関係ありません。。。そして早すぎることも。。。遅すぎることも。。。
細胞が死ぬまでは生まれ変わって再生していくように。。。。自分らしさもそれを選びさえすればいつでも再生できる機会があるのですね。
とても素敵な時間でした。
参加者のみなさん、本当にありがとうございました。
今日は記念すべき一日になりました。
『KEY』&『いやしの光』コラボでの第1回目のセミナー、スタートです。
私はコラージュを担当、『いやしの光』主宰のひかりちゃんはスポンサーシップ(自分で自分を励ます)ということを担当し、5人の参加者と一緒に、肩ひじを張らずに自らの体験をそのまま語るというスタンスで、しかし、そこにはセミナーを主催する側としてのセンターをしっかり確立しつつ、みなさまと一緒に貴重な時間を過ごさせていただくことができました。本当にみなさんありがとうございました。
NLPコーチングの仲間からはふわりちゃん、こうこちゃん、身内からは私の母、そして従姉、友人からは子育て中の綾子さんと参加していただきました。
特に従姉のお姉ちゃんが体調の悪いなかではあるものの、明るい未来を自分に夢みたいという気持ちを少しでもコラージュやスポンサーシップでのワークの中で感じて帰って貰えたことは嬉しく感じました。
大きな変化を求めて私たちは今回のセミナーを開こうとした訳ではなく、その人にとっての灯を自らが灯そうと思えるような働きかけをできたなら。。。。。ということが一番の願いだったからです。
きっといろいろな変化があると思います。
無意識に働きかけたことで、もしかしたら今、いろいろな想いにかられているかもしれませんが、自らと向き合った今日の数時間の時間が、新たな扉を押そうとする力に変わってくれたらいいな。。。と想います。
少人数ではありましたが、みなさんに語りかけた言葉が今までで一番自分らしい言葉であったことが嬉しいでしたし、参加してくださったみなさんのお顔が終わりに近づくにつれて緊張がほどけてきているように感じられてきたことがまたすごく嬉しいでした。
これからもこのような企画を提供していきたいと思います。
粘土で地球をつくる。。。。。NLPコーチングでのワーク。。。コラージュ。。。アートセラピー。。。。今日の体験を通して、夢中で何か作業をするということと、説明を聴きつつ、ワークをして身体も動かすこと。。。組み合わせることで楽しめる空間を創りだすことができるのだということもわかりました。
私たちにしかできないものをこれからも探求しつつ。。。。みなさんに定期的に継続して貢献できるものを創る。。。それを今後はまた目標にしていきたいなぁと決意も新たにしました。
いろいろな年代の人たちにそういう機会を提供できたらいいなぁ。。。。
みな、本当に夢中になることをしている時は楽しそうでした。
そして、もくもくと集中していました。それも自分自身と対話、コミュニケーションをいつのまにか取りながら。。。
そんな時間を積み重ねていくことに、年齢は関係ありません。。。そして早すぎることも。。。遅すぎることも。。。
細胞が死ぬまでは生まれ変わって再生していくように。。。。自分らしさもそれを選びさえすればいつでも再生できる機会があるのですね。
とても素敵な時間でした。
参加者のみなさん、本当にありがとうございました。
小さな幸せをみんなが感じられますように
ようこそお越しくださいました。
「はぁ~っ。いいねぇ」
そんな感じで、筋肉ゆるゆる、深呼吸なんかしたりして。。。そういう場所をいくつ持っているかということは結構大事なことかもしれません。
私は車に温泉道具を常備しています。いつでも氣が向いたときに温泉へ行けるようになのですが、今日も雨をもったお天気でむしむしするので身体がなんとなくべたべたと感じ、「よし、温泉に行こう」と仕事帰りにそのまま近くの『長寿温泉』へ行きました。
私の職場は鹿児島地方裁判所近くにあるので、城山観光ホテル近くの西郷隆盛さんの洞窟の前にある『長寿温泉』へ車で5分くらいで着きます。
とても古~い温泉なのですが、そのお湯はかけ流しで、お湯の質もすごくいいです。美人湯といわれるような熊本の黒川温泉に匹敵するのではないかと思われるぐらい。。。そのお湯はぬりゅっと肌にまとわりつくようなお湯で。。。かけ流しなのでとてもきれい。。。。いまどきの新しい温泉施設のような華やかさはありませんが、泉質で勝負みたいなとても良いで細胞が活き活きしてくるのを感じます。
私は特に、ここの水風呂が大好きです。
サウナに入った後に水風呂に入ると、身体の中にす~っと風が通るのです。もうその氣持ち良さといったら。。。。目を閉じて、流れるお湯の音や、冷たーい水と肌とのなんていうか境界がなくなっていく感覚が瞑想のような感覚と似たものを感じさせるほどに、思考が止まり、静かな世界を体験できていくのが私は好きです。
不思議なのですが。。。。。目を閉じてずっと水を感じていると、お風呂にいる人々の会話の声も、水の音も聴こえなくなってきて、本当に静かな内的世界に引き込まれていくような感覚が起こるので、私はそれで身体からマイナスと思われるようなエネルギーが浄化されたように感じます。。。そして、そのあとにあたたかなお湯のほうへ。。。。。。『はあぁ~ゆるむ~。」
最高。
しかもこんな近くにこんな幸せを感じることのできる自然の恵みがあるんだもの。。。。すごいなぁ。。。
広島にお嫁に行った妹が、「鹿児島は温泉がすぐ入れるところにあるからいいがね。」と羨ましそうに話していたのをふと思い出しながら、地元のよさを地元に住んでいる者があたりまえ過ぎて忘れちゃうんだよなぁと。
ふるさとは遠きにありて思うもの
さらさらになった肌の感じを楽しみつつで食べたアイスクリームとともに、そんな時間をあじわうことができている日本の平和を思いながら、海外青年協力隊でアフリカへ旅立ったYOUちゃんが、どんな土地へ降り立ったかに想いを馳せたりし。。。。地球に住んでいる人たちのひとりひとりが、こんな小さな日常の幸せを、どんな時にもすぐに想い描くことができるようになれたらいいなぁと祈らずにはいられませんでした。
お隣の県の宮崎の酪農家さんも然り。。。どうか早く心安らかなエネルギーが満ちて拡がっていきますように
「はぁ~っ。いいねぇ」
そんな感じで、筋肉ゆるゆる、深呼吸なんかしたりして。。。そういう場所をいくつ持っているかということは結構大事なことかもしれません。
私は車に温泉道具を常備しています。いつでも氣が向いたときに温泉へ行けるようになのですが、今日も雨をもったお天気でむしむしするので身体がなんとなくべたべたと感じ、「よし、温泉に行こう」と仕事帰りにそのまま近くの『長寿温泉』へ行きました。
私の職場は鹿児島地方裁判所近くにあるので、城山観光ホテル近くの西郷隆盛さんの洞窟の前にある『長寿温泉』へ車で5分くらいで着きます。
とても古~い温泉なのですが、そのお湯はかけ流しで、お湯の質もすごくいいです。美人湯といわれるような熊本の黒川温泉に匹敵するのではないかと思われるぐらい。。。そのお湯はぬりゅっと肌にまとわりつくようなお湯で。。。かけ流しなのでとてもきれい。。。。いまどきの新しい温泉施設のような華やかさはありませんが、泉質で勝負みたいなとても良いで細胞が活き活きしてくるのを感じます。
私は特に、ここの水風呂が大好きです。
サウナに入った後に水風呂に入ると、身体の中にす~っと風が通るのです。もうその氣持ち良さといったら。。。。目を閉じて、流れるお湯の音や、冷たーい水と肌とのなんていうか境界がなくなっていく感覚が瞑想のような感覚と似たものを感じさせるほどに、思考が止まり、静かな世界を体験できていくのが私は好きです。
不思議なのですが。。。。。目を閉じてずっと水を感じていると、お風呂にいる人々の会話の声も、水の音も聴こえなくなってきて、本当に静かな内的世界に引き込まれていくような感覚が起こるので、私はそれで身体からマイナスと思われるようなエネルギーが浄化されたように感じます。。。そして、そのあとにあたたかなお湯のほうへ。。。。。。『はあぁ~ゆるむ~。」
最高。
しかもこんな近くにこんな幸せを感じることのできる自然の恵みがあるんだもの。。。。すごいなぁ。。。
広島にお嫁に行った妹が、「鹿児島は温泉がすぐ入れるところにあるからいいがね。」と羨ましそうに話していたのをふと思い出しながら、地元のよさを地元に住んでいる者があたりまえ過ぎて忘れちゃうんだよなぁと。
ふるさとは遠きにありて思うもの
さらさらになった肌の感じを楽しみつつで食べたアイスクリームとともに、そんな時間をあじわうことができている日本の平和を思いながら、海外青年協力隊でアフリカへ旅立ったYOUちゃんが、どんな土地へ降り立ったかに想いを馳せたりし。。。。地球に住んでいる人たちのひとりひとりが、こんな小さな日常の幸せを、どんな時にもすぐに想い描くことができるようになれたらいいなぁと祈らずにはいられませんでした。
お隣の県の宮崎の酪農家さんも然り。。。どうか早く心安らかなエネルギーが満ちて拡がっていきますように
子供の感受性を育てられるのになぜ?
ようこそお越しくださいました。
今日は、私のクレイアート(粘土)の師匠でもあるこねこねランドの金田美智代さんのオフィスに地球セット作りのお手伝いに。
地球セットというのは、地球セラピーと呼ばれるものにも使われるもので、青いまんまるの粘土、そして緑、水色、白色の小さいまんまるの粘土がセットにされています。
水色(水を表します)白色(雲を表します)のまんまる粘土を縄状にして、それぞれ重ならないように地球の母体になる青色のまんまる粘土に中心かららせん状に張り合わせていきます。そして棒状にして練り合わせていくと、地球のような模様が浮き上がり、そこに緑色(大地を表します)をはりあわせ。。。。。はいできあがり。
すべて同じ分量で創っているのに、創る人のその地球はすべて同じではありません。
重さも軽い人、重く感じる人、そして模様も線がくっきりしている人、波のように細い人、いろいろなんでおもしろい。
そのセットを創るお手伝いとして、粘土をこねこねしていた時、一本の電話が入りました。
とある児童クラブで、夏休みの作品づくりと銘打ち、紙粘土で何か作品を創るイベントをして欲しいとのお願いを受けた。。。私と同じ。。。金田さんから粘土を習ったインストラクターの人からのお電話でした。
『子供たちが喜ぶという作品をと思っていろいろな作品を創ることを持ちかけたところ、お母さん方から材料代がかかるからカブトムシだけでいいです。。。。』そんな発言があって、夏休みの作品づくりに利用してもらおうということでの企画という趣旨も、質のいい粘土を利用して、こねる気持ちよさやたくさんの作品が出来ていく過程を楽しむという時の子供たちの喜ぶであろう顔も、そのお母様方のご意見でお流れになりそうな勢いとか。。。。。
そりゃ、100円ショップで購入する紙粘土は100円ぐらいで手に入る。。。なのになんで高いの。。。。みたいな気持ちになるのはわかるような氣もするものの、こねこねランドの粘土は子供たちに五感で感じる楽しさを・・という目的のもとオリジナルで練るところから頼み、色もきれいな発色を何度も何度も重ねて決めた。。。ほんとにこれまで扱ってきた泥粘土や油っぽく重い紙粘土とは異なる質で、マシュマロのように柔らかくて。。。。指でこねたときの気持ちよさや、その作品となった時の色のきれいなことや、壊れにくさや軽さなど。。。。。本当にいいもので創る楽しさを。。。。子供たちの純粋な五感で喜んで貰えるものを扱わせてあげたいという気持ちもあるのです。。。。
なのになのに。。。。。一人500円で高いとは。。。。。
ゲームばかりで遊ぶよりも、五感を使って何かを創る楽しさを味あわせることにお金を惜しむ気持ち。。。。どういう感じなのだろう。。。。。。。だって、そう言われたママさんがランチや温泉とかで1,000円以上使うって良くある話なのに。。。。子供にどんな質の良い時間を与えるかに対して出し渋る感覚って。。。クレイアートを創っている時のあの子供たちの楽しそうな様子や出来上がった時の満足そうな顔、そして何よりご父兄が驚くほどの集中力。。。いろいろな可能性を子供たちに見る機会になるかもしれないそんな企画を。。。。500円で高いというだけで子供から取り上げて良いものなのか。。。。
鹿児島はまだまだ東京などと比べると、アートや芸術、創造などの分野に対しての評価が低く、それに対しての価値を認めようとしないところが多いらしいです。
例えば、作品を創る事についても、「ほんのちゃちゃっと創ればいいですから。。」みたいなことを軽く言われるらしく。。。。でも。。。実際に創ってみるほうを体験すると。。。その細かさ、係る時間、なんでもそうでしょうけれど、何か心を打つものを創りあげるということにはそれなりの時間と正確さを要するわけで、そういうものにこそ正当な評価を与えてあげて欲しいし、そんな感覚を持つ人が増えて欲しいなぁと想うことでした。
芸術を通して何をみるか。。。。これからの子供たちにとっていろいろなことを経験させてあげるためにも、五感を使って遊んだり、物づくりをしたり、色を見たり触ったり、出来上がる過程を楽しんだり、何よりも、自分のイメージを無限に拡げていくことのおもしろさを小さな頃から体験できる機会が持てることの大切さがあるのではないのかな。。。。。
そんな機会。。。。どれが大切で大切でないのかは大人が決めることではないのかもしれません。
子供が楽しみにしているのに。。。。高いでしょう。。。。で中止かもなんて悲しいなぁ。きっと眼を輝かせて創ってくれるに違いないのに。。。。少し、考えさせられる出来事でした。
子供だけでなく、大人も粘土創りをひとつの機会として楽しんでくれれば。。。。心のゆとりを子供とともに感じて欲しかったなぁ。。。。。そんな気持ちを持ちつつ。。。。地球セットの地球がたくさんの子供たちの手によってできますように、その向こうにたくさんの笑顔が繋がりますようにと祈らずにはいられませんでした。
今日は、私のクレイアート(粘土)の師匠でもあるこねこねランドの金田美智代さんのオフィスに地球セット作りのお手伝いに。
地球セットというのは、地球セラピーと呼ばれるものにも使われるもので、青いまんまるの粘土、そして緑、水色、白色の小さいまんまるの粘土がセットにされています。
水色(水を表します)白色(雲を表します)のまんまる粘土を縄状にして、それぞれ重ならないように地球の母体になる青色のまんまる粘土に中心かららせん状に張り合わせていきます。そして棒状にして練り合わせていくと、地球のような模様が浮き上がり、そこに緑色(大地を表します)をはりあわせ。。。。。はいできあがり。
すべて同じ分量で創っているのに、創る人のその地球はすべて同じではありません。
重さも軽い人、重く感じる人、そして模様も線がくっきりしている人、波のように細い人、いろいろなんでおもしろい。
そのセットを創るお手伝いとして、粘土をこねこねしていた時、一本の電話が入りました。
とある児童クラブで、夏休みの作品づくりと銘打ち、紙粘土で何か作品を創るイベントをして欲しいとのお願いを受けた。。。私と同じ。。。金田さんから粘土を習ったインストラクターの人からのお電話でした。
『子供たちが喜ぶという作品をと思っていろいろな作品を創ることを持ちかけたところ、お母さん方から材料代がかかるからカブトムシだけでいいです。。。。』そんな発言があって、夏休みの作品づくりに利用してもらおうということでの企画という趣旨も、質のいい粘土を利用して、こねる気持ちよさやたくさんの作品が出来ていく過程を楽しむという時の子供たちの喜ぶであろう顔も、そのお母様方のご意見でお流れになりそうな勢いとか。。。。。
そりゃ、100円ショップで購入する紙粘土は100円ぐらいで手に入る。。。なのになんで高いの。。。。みたいな気持ちになるのはわかるような氣もするものの、こねこねランドの粘土は子供たちに五感で感じる楽しさを・・という目的のもとオリジナルで練るところから頼み、色もきれいな発色を何度も何度も重ねて決めた。。。ほんとにこれまで扱ってきた泥粘土や油っぽく重い紙粘土とは異なる質で、マシュマロのように柔らかくて。。。。指でこねたときの気持ちよさや、その作品となった時の色のきれいなことや、壊れにくさや軽さなど。。。。。本当にいいもので創る楽しさを。。。。子供たちの純粋な五感で喜んで貰えるものを扱わせてあげたいという気持ちもあるのです。。。。
なのになのに。。。。。一人500円で高いとは。。。。。
ゲームばかりで遊ぶよりも、五感を使って何かを創る楽しさを味あわせることにお金を惜しむ気持ち。。。。どういう感じなのだろう。。。。。。。だって、そう言われたママさんがランチや温泉とかで1,000円以上使うって良くある話なのに。。。。子供にどんな質の良い時間を与えるかに対して出し渋る感覚って。。。クレイアートを創っている時のあの子供たちの楽しそうな様子や出来上がった時の満足そうな顔、そして何よりご父兄が驚くほどの集中力。。。いろいろな可能性を子供たちに見る機会になるかもしれないそんな企画を。。。。500円で高いというだけで子供から取り上げて良いものなのか。。。。
鹿児島はまだまだ東京などと比べると、アートや芸術、創造などの分野に対しての評価が低く、それに対しての価値を認めようとしないところが多いらしいです。
例えば、作品を創る事についても、「ほんのちゃちゃっと創ればいいですから。。」みたいなことを軽く言われるらしく。。。。でも。。。実際に創ってみるほうを体験すると。。。その細かさ、係る時間、なんでもそうでしょうけれど、何か心を打つものを創りあげるということにはそれなりの時間と正確さを要するわけで、そういうものにこそ正当な評価を与えてあげて欲しいし、そんな感覚を持つ人が増えて欲しいなぁと想うことでした。
芸術を通して何をみるか。。。。これからの子供たちにとっていろいろなことを経験させてあげるためにも、五感を使って遊んだり、物づくりをしたり、色を見たり触ったり、出来上がる過程を楽しんだり、何よりも、自分のイメージを無限に拡げていくことのおもしろさを小さな頃から体験できる機会が持てることの大切さがあるのではないのかな。。。。。
そんな機会。。。。どれが大切で大切でないのかは大人が決めることではないのかもしれません。
子供が楽しみにしているのに。。。。高いでしょう。。。。で中止かもなんて悲しいなぁ。きっと眼を輝かせて創ってくれるに違いないのに。。。。少し、考えさせられる出来事でした。
子供だけでなく、大人も粘土創りをひとつの機会として楽しんでくれれば。。。。心のゆとりを子供とともに感じて欲しかったなぁ。。。。。そんな気持ちを持ちつつ。。。。地球セットの地球がたくさんの子供たちの手によってできますように、その向こうにたくさんの笑顔が繋がりますようにと祈らずにはいられませんでした。
私のマヤ歴 『KIN149 赤い律動の月』
ようこそお越しくださいました。
今日は、吉野の下田というところにある『ギャラリー稲音館』に仕事帰りにお邪魔しました。
インディアンのシサイというグループの音楽を奏でる人たちをサポートしている英子さんが、毎年、夏至と冬至に合わせ、キャンドルナイトという試みをこのギャラリー稲音館さんの場所を借りて行っているとのことで、こねこねランドの美智代さん(私の粘土の先生です)に声をかけて貰いました。
いつもは初めてのところに出かけるのは少々億劫がるところがあるのですが、なぜか今日は二つ返事でした。
その中で、英子さん、マヤ歴(13の月の暦)を扱えます。
私はまだそれほど詳しくないのですが、太陽暦ではなく、月の暦を用いて運命を読み解くとでもいうのか、その人の生まれた意味を知ることができるものがあるみたいなのです。
私も見てもらいましたところ。。。。。
マヤ歴では。。。。。
『KIN149 赤い律動の月(顕在意識)』
『運命キン(毎日の銀河の通路、毎日の運命を表す)平等、組織する、つりあわせる、流れ、普遍的な水、清める』 『銀河の音は6』
『太陽の紋章(顕在意識)は赤い月。浄化、清める、覚醒した意識の出入り口に置かれている宇宙の種。新しい流れ、雨だれ、高次の生のコミュニケーションと展開の原理』
『ウェイブスペル 黄色い種(潜在意識)。 種、目覚め、開花の力、アイデア、イデア、成長を命じる力、生成の原理、性と再生、南』
まだいまいちよくわからないのですが。。。。どうやら、すごいエネルギーをもっているらしく。。。。
まずKIN149という番号は、銀河の通路となる帯状の道の上に位置する『黒KIN』という部分にある数字なので、ほかのKINの数字のエネルギーの3倍はエネルギーが強いらしく。。。。しかも、この番号は、その中でも真ん中あたりに位置するということで、バランスをとるべくところに近い位置らしい(始めも終わりも統括する位置にいるらしい。。。)。
しかも、このKIN149の潜在意識の部分は『黄色い種』、種をまく、人と人をつなぐということに大きな役割をもっているらしい。しかも、太陽と月のように、どちらかだけがあると成り立つということではないというようなバランスする力をもとにして浄化をコントロールする。。。。組織する。。。つりあわせる。。。。流れを創る。。。。
とにかく、種まきをし、新しい流れを組織し、浄化し、バランスをつりあわせながら成り立たせていく世界を見るというようなことを本来すべき星の下に生まれてきているということみたい。
そういえば、私にNLPコーチングをすすめてくれた閏ちゃんは『オフィスイエローシード(黄色い種)』のマヤ歴の人だったし不思議。無意識の部分の探求も多いNLP。それを私の潜在意識に位置する黄色い種の人が伝えてくれたんだもの。
そして、そこで学んだこと、自分自身を見つめながら、今私は『KEY』という『自分で自分の種を見つけて育てることを選んでもらいたい、そんな意識を取り戻して貰う』みたいなことを、機会や場を提供することで積極的に生成、創造してもらおうとしている。
コーチングや、自分表現、コラージュなど、その人に合った方法を使って、その人の種を芽吹かせるための栄養としてエネルギーを使って貰いたいと願っていることも、宇宙の意識に氣づくための種まきに添う行動なのかな。
人と人をつなぐことも何気に好きだし。。。。自己愛をありのままで受け入れられることが、自分で自分を浄化することにつながる。。。それが本当の癒しだとなんとなく昔から感じていたりした(できるかどうかは別として)。
今日、思いもかけず返事ふたつで行ったこの場を『すべては出会うべくして出会う必然』と受け取らずになんとするという気分で家路についたところでした。
でも。。。。。なんだかすごいスピードでいろいろな情報が集まってきているような氣がしてる。。。。私の行くべき道をそろそろ本気で見ないと、受け入れろって言われていることなのかなぁ。
エネルギーが少なっ。。無気力だし。。。。なんて自分では感じていたけれど、本人が考える以上に実はエネルギーの塊だったのね。
時折感じていた虚脱感。。。実はそれを出し切れていないがゆえのジレンマだったってことかぁ。。。。。。はぁ~。。。こういう大事なこと、これからは早く気付かなきゃいけないなぁ。。。そして、きちんと使おう、自分の役割として与えられてきた魂の進むべき方向を歩むために。。。。早く種もまかなきゃいかないなぁと改めてまた想いました。
今日はちょっと、不思議でなるほどなぁ~と感じたマヤ歴のお話でした。
今日は、吉野の下田というところにある『ギャラリー稲音館』に仕事帰りにお邪魔しました。
インディアンのシサイというグループの音楽を奏でる人たちをサポートしている英子さんが、毎年、夏至と冬至に合わせ、キャンドルナイトという試みをこのギャラリー稲音館さんの場所を借りて行っているとのことで、こねこねランドの美智代さん(私の粘土の先生です)に声をかけて貰いました。
いつもは初めてのところに出かけるのは少々億劫がるところがあるのですが、なぜか今日は二つ返事でした。
その中で、英子さん、マヤ歴(13の月の暦)を扱えます。
私はまだそれほど詳しくないのですが、太陽暦ではなく、月の暦を用いて運命を読み解くとでもいうのか、その人の生まれた意味を知ることができるものがあるみたいなのです。
私も見てもらいましたところ。。。。。
マヤ歴では。。。。。
『KIN149 赤い律動の月(顕在意識)』
『運命キン(毎日の銀河の通路、毎日の運命を表す)平等、組織する、つりあわせる、流れ、普遍的な水、清める』 『銀河の音は6』
『太陽の紋章(顕在意識)は赤い月。浄化、清める、覚醒した意識の出入り口に置かれている宇宙の種。新しい流れ、雨だれ、高次の生のコミュニケーションと展開の原理』
『ウェイブスペル 黄色い種(潜在意識)。 種、目覚め、開花の力、アイデア、イデア、成長を命じる力、生成の原理、性と再生、南』
まだいまいちよくわからないのですが。。。。どうやら、すごいエネルギーをもっているらしく。。。。
まずKIN149という番号は、銀河の通路となる帯状の道の上に位置する『黒KIN』という部分にある数字なので、ほかのKINの数字のエネルギーの3倍はエネルギーが強いらしく。。。。しかも、この番号は、その中でも真ん中あたりに位置するということで、バランスをとるべくところに近い位置らしい(始めも終わりも統括する位置にいるらしい。。。)。
しかも、このKIN149の潜在意識の部分は『黄色い種』、種をまく、人と人をつなぐということに大きな役割をもっているらしい。しかも、太陽と月のように、どちらかだけがあると成り立つということではないというようなバランスする力をもとにして浄化をコントロールする。。。。組織する。。。つりあわせる。。。。流れを創る。。。。
とにかく、種まきをし、新しい流れを組織し、浄化し、バランスをつりあわせながら成り立たせていく世界を見るというようなことを本来すべき星の下に生まれてきているということみたい。
そういえば、私にNLPコーチングをすすめてくれた閏ちゃんは『オフィスイエローシード(黄色い種)』のマヤ歴の人だったし不思議。無意識の部分の探求も多いNLP。それを私の潜在意識に位置する黄色い種の人が伝えてくれたんだもの。
そして、そこで学んだこと、自分自身を見つめながら、今私は『KEY』という『自分で自分の種を見つけて育てることを選んでもらいたい、そんな意識を取り戻して貰う』みたいなことを、機会や場を提供することで積極的に生成、創造してもらおうとしている。
コーチングや、自分表現、コラージュなど、その人に合った方法を使って、その人の種を芽吹かせるための栄養としてエネルギーを使って貰いたいと願っていることも、宇宙の意識に氣づくための種まきに添う行動なのかな。
人と人をつなぐことも何気に好きだし。。。。自己愛をありのままで受け入れられることが、自分で自分を浄化することにつながる。。。それが本当の癒しだとなんとなく昔から感じていたりした(できるかどうかは別として)。
今日、思いもかけず返事ふたつで行ったこの場を『すべては出会うべくして出会う必然』と受け取らずになんとするという気分で家路についたところでした。
でも。。。。。なんだかすごいスピードでいろいろな情報が集まってきているような氣がしてる。。。。私の行くべき道をそろそろ本気で見ないと、受け入れろって言われていることなのかなぁ。
エネルギーが少なっ。。無気力だし。。。。なんて自分では感じていたけれど、本人が考える以上に実はエネルギーの塊だったのね。
時折感じていた虚脱感。。。実はそれを出し切れていないがゆえのジレンマだったってことかぁ。。。。。。はぁ~。。。こういう大事なこと、これからは早く気付かなきゃいけないなぁ。。。そして、きちんと使おう、自分の役割として与えられてきた魂の進むべき方向を歩むために。。。。早く種もまかなきゃいかないなぁと改めてまた想いました。
今日はちょっと、不思議でなるほどなぁ~と感じたマヤ歴のお話でした。
共に描く絵のように
ようこそお越しくださいました。
今日はなんとなくただただ文字を連ねてみたいという感じ。
一人では何もできない
でも、一人でもしなければならないこともある
時には何かにせきたてられるように
想いをのせ
高い空に飛び立たなくてはならないことも
それが願う道であったとしても 願わざるべき道でなかったとしても
すでにある自分の使命を受け入れたとき
その本当の意味をただ感じることができるのであろう
共に描く絵のように
時には涙でにじむものが
想いもかけず鮮やかな色彩を放つ時が来る
それは今はわからない
どこに落として良いのかさえわからない
あえてつける色ではないのなら
楽しみながら 思い描くあの絵のように 自由に 想うまままの色をのせ 大地に飛ばしてみよう
大地の色を吸い上げて
空の光を受け入れて
その絵がいつか すべての色彩を包み込み 新たな色を放つように。 【自作】
今日、詩集を手に入れた。
菊池龍全さんのNLPコーチング鹿児島第1期マスターコースの中で、龍全さんが詩集を手にし、いくつかの詩を読みあげてくださるその中に、その時の心情に届く言葉があることに、押しつけがましくない祈りのメッセージにも似た響きを感じた。
すごく深く届いた。そして、久しぶりに想い出したのだ。。。。小学生の頃、よく自分の氣持ちを詩にしていたことを。。。。
何かのきっかけで。。好きだった自分の習慣や楽しみながら行っていたことを想い出すことがある。
心に想う無意識からの単語やイメージが言葉にできないことがある。
それを言葉にすることは大切なことらしい。
無意識だけではなく、馬の手綱を引き行き先へ先導していくような御者(意識)も必要で、その御者の役割をするのが言葉にすること、つまり意識にあげることだそうだ。
ただ想い浮かぶイメージを詩にすることで、私に合った解決ができることもあるのかもしれない。
そして、そこから浮かび上がる世界を見ることで、新たな視点が生まれることがあるのかもしれない。
本屋さんに寄って。。。。何を買うかは決めず。。。潜在意識に任せ。。。。足の向くまま。。。。目についた詩集を手にして購入してみた。。読んでどんなことを感じていくか今の私自身がなぜかとても楽しみにしている。
いつも見守ってくれている私のいろいろな身体の中のパートさん、本当にありがとう。感謝しているよ。
きっと今の私に手渡してくれたその本を五感で感じつつ読み進めながら。。。。ありがとうを伝えます
今日はなんとなくただただ文字を連ねてみたいという感じ。
一人では何もできない
でも、一人でもしなければならないこともある
時には何かにせきたてられるように
想いをのせ
高い空に飛び立たなくてはならないことも
それが願う道であったとしても 願わざるべき道でなかったとしても
すでにある自分の使命を受け入れたとき
その本当の意味をただ感じることができるのであろう
共に描く絵のように
時には涙でにじむものが
想いもかけず鮮やかな色彩を放つ時が来る
それは今はわからない
どこに落として良いのかさえわからない
あえてつける色ではないのなら
楽しみながら 思い描くあの絵のように 自由に 想うまままの色をのせ 大地に飛ばしてみよう
大地の色を吸い上げて
空の光を受け入れて
その絵がいつか すべての色彩を包み込み 新たな色を放つように。 【自作】
今日、詩集を手に入れた。
菊池龍全さんのNLPコーチング鹿児島第1期マスターコースの中で、龍全さんが詩集を手にし、いくつかの詩を読みあげてくださるその中に、その時の心情に届く言葉があることに、押しつけがましくない祈りのメッセージにも似た響きを感じた。
すごく深く届いた。そして、久しぶりに想い出したのだ。。。。小学生の頃、よく自分の氣持ちを詩にしていたことを。。。。
何かのきっかけで。。好きだった自分の習慣や楽しみながら行っていたことを想い出すことがある。
心に想う無意識からの単語やイメージが言葉にできないことがある。
それを言葉にすることは大切なことらしい。
無意識だけではなく、馬の手綱を引き行き先へ先導していくような御者(意識)も必要で、その御者の役割をするのが言葉にすること、つまり意識にあげることだそうだ。
ただ想い浮かぶイメージを詩にすることで、私に合った解決ができることもあるのかもしれない。
そして、そこから浮かび上がる世界を見ることで、新たな視点が生まれることがあるのかもしれない。
本屋さんに寄って。。。。何を買うかは決めず。。。潜在意識に任せ。。。。足の向くまま。。。。目についた詩集を手にして購入してみた。。読んでどんなことを感じていくか今の私自身がなぜかとても楽しみにしている。
いつも見守ってくれている私のいろいろな身体の中のパートさん、本当にありがとう。感謝しているよ。
きっと今の私に手渡してくれたその本を五感で感じつつ読み進めながら。。。。ありがとうを伝えます
『あめ」と『むち』
ようこそお越しくださいました。
『あめ』と『むち』 どちらもその子の成長に必要なものかもしれないのですが、私自身、どちらを気持ちとしてかけてもらえれば自分の中で成長していくことへの動機付けにつながるのだろう。。。今日はそんなことをふと思いました。
やりたいこと、きっと必要になると想うこと、そして自分自身の今の状況。。。。
自分の中では答えはあることは感じている。。。。そして、それに向かって歩いていこうとしていることも。。。言葉にはうまくできないけれど細胞全体から、声にしたくてたまらないものが今少しずつ色を帯びて、強く、大きく、まるで海の底からあぶくが水面に浮かび上がってくるように次第に大きく大きくその輪が拡がっていくことも一日一日実感していることだって感じている。
そう。。。。自分ではわかっている。。。ただ、その奥にある心細さも認めて欲しい。。。強いけれど、そんなに強くない自分だってまだいるのだから。。。。今、そんな自分を太く強くしなやかにしていこうとしている。。。。けれど、そんな自分を見ていても感じる心細さもある。。。。
私の可能性。。。この人には信じて貰いたい。。。認めてもらいたい。。。そして、あたたかい言葉で背中を押して貰いたい。。。。。そう、自分で決めても。。。そんな時でもひとことあたたかな表情で見つめて欲しいし、何か安心させて貰える言葉をその人にだからこそ欲しい時はたまにあるのだ。。。。いつもは『むち』で動ける自分がいても、心がゆるむからこそ勇気ある一歩が踏み出せるということもある。『あめ』を時には欲しい。
小さな一歩も必要だけれど、今の私は元気よく幅跳びのように飛び跳ねて踏み出すような、空に向かって跳び箱を飛ぶような。。。。大きな一歩を自分の中で感じたい時なのかもしれない。
そう。。。覚悟ができている人が学ぶところ、そういう気持ちになった時にはいつでも受け入れてくれるところ。。。
自分が決めていかなくてはならない。。。。。そんなことはわかってる。。。。ただ、その奥の少し弱気な自分を受け止めて欲しかっただけだったんだよね。。。期待して貰っているという実感を、私はただ感じたかっただけだったのかな。。。そう感じたり、それを要求するのは甘いことなのかな。。。
応援してもらっていることを感じながら、時々、崖下におとされているように感じる時がある。頑張って傷だらけになりながらも親ライオンの喜ぶ顔が見たくて登っていくと、その成長を見たらまた落とされるみたいな。。。登ってきたことについて頑張ったんだんだもん。。。。少しは愛されているのだと感じてから落とされるなら。。。きっと自らが喜んで強くなるために登る。。。。そのことがあっての覚悟を培う部分も私にはあるし、大きいと想う。
マスターという存在を考えたとき、『孤独』という言葉が出てきた。
『孤独』。。。孤独を感じている自分もいて、『調和』を求める自分がいて、いろいろな自分がいるのは当たり前。
でも今日の私は少し、『孤独』のなかに人と共にふれ合うことでの灯を灯したかったのかもしれない。
進化していく自分自身を一番認めてもらいたいと想う人が、自分に対してどう感じてくれているのかを。。。ただその表情や言葉から感じたかっただけなのかもしれない。
でも、『むち』だと感じる私がいることの意図は何なのだろう。
『あめ』を今日は欲しがっていた自分がいたのだろう。
だから反応した部分が『むち』と感じたから少し寂しかったと感じたのだと想う。
私の今日の声。。。そう感じたんだね。。。。少し寂しいと感じたんだね。。期待していたわけではなかったけれど、そばに少しでもいさせてもらえる許可がただ欲しかったんだね。そして、そこにこだわる不安を感じているんだね。。。。。大丈夫。。。。『いつでもその時は受け入れますのでどうぞ』。。。それはあきれているわけではない。。。。私のプログラムからきているフレームはそうでも、必ずそれが真実ではない。
まだまだマスターという域にはいけないな。。。。こんなことで寂しがっているうちは。。。
『あめ』と『むち』 どちらもその子の成長に必要なものかもしれないのですが、私自身、どちらを気持ちとしてかけてもらえれば自分の中で成長していくことへの動機付けにつながるのだろう。。。今日はそんなことをふと思いました。
やりたいこと、きっと必要になると想うこと、そして自分自身の今の状況。。。。
自分の中では答えはあることは感じている。。。。そして、それに向かって歩いていこうとしていることも。。。言葉にはうまくできないけれど細胞全体から、声にしたくてたまらないものが今少しずつ色を帯びて、強く、大きく、まるで海の底からあぶくが水面に浮かび上がってくるように次第に大きく大きくその輪が拡がっていくことも一日一日実感していることだって感じている。
そう。。。。自分ではわかっている。。。ただ、その奥にある心細さも認めて欲しい。。。強いけれど、そんなに強くない自分だってまだいるのだから。。。。今、そんな自分を太く強くしなやかにしていこうとしている。。。。けれど、そんな自分を見ていても感じる心細さもある。。。。
私の可能性。。。この人には信じて貰いたい。。。認めてもらいたい。。。そして、あたたかい言葉で背中を押して貰いたい。。。。。そう、自分で決めても。。。そんな時でもひとことあたたかな表情で見つめて欲しいし、何か安心させて貰える言葉をその人にだからこそ欲しい時はたまにあるのだ。。。。いつもは『むち』で動ける自分がいても、心がゆるむからこそ勇気ある一歩が踏み出せるということもある。『あめ』を時には欲しい。
小さな一歩も必要だけれど、今の私は元気よく幅跳びのように飛び跳ねて踏み出すような、空に向かって跳び箱を飛ぶような。。。。大きな一歩を自分の中で感じたい時なのかもしれない。
そう。。。覚悟ができている人が学ぶところ、そういう気持ちになった時にはいつでも受け入れてくれるところ。。。
自分が決めていかなくてはならない。。。。。そんなことはわかってる。。。。ただ、その奥の少し弱気な自分を受け止めて欲しかっただけだったんだよね。。。期待して貰っているという実感を、私はただ感じたかっただけだったのかな。。。そう感じたり、それを要求するのは甘いことなのかな。。。
応援してもらっていることを感じながら、時々、崖下におとされているように感じる時がある。頑張って傷だらけになりながらも親ライオンの喜ぶ顔が見たくて登っていくと、その成長を見たらまた落とされるみたいな。。。登ってきたことについて頑張ったんだんだもん。。。。少しは愛されているのだと感じてから落とされるなら。。。きっと自らが喜んで強くなるために登る。。。。そのことがあっての覚悟を培う部分も私にはあるし、大きいと想う。
マスターという存在を考えたとき、『孤独』という言葉が出てきた。
『孤独』。。。孤独を感じている自分もいて、『調和』を求める自分がいて、いろいろな自分がいるのは当たり前。
でも今日の私は少し、『孤独』のなかに人と共にふれ合うことでの灯を灯したかったのかもしれない。
進化していく自分自身を一番認めてもらいたいと想う人が、自分に対してどう感じてくれているのかを。。。ただその表情や言葉から感じたかっただけなのかもしれない。
でも、『むち』だと感じる私がいることの意図は何なのだろう。
『あめ』を今日は欲しがっていた自分がいたのだろう。
だから反応した部分が『むち』と感じたから少し寂しかったと感じたのだと想う。
私の今日の声。。。そう感じたんだね。。。。少し寂しいと感じたんだね。。期待していたわけではなかったけれど、そばに少しでもいさせてもらえる許可がただ欲しかったんだね。そして、そこにこだわる不安を感じているんだね。。。。。大丈夫。。。。『いつでもその時は受け入れますのでどうぞ』。。。それはあきれているわけではない。。。。私のプログラムからきているフレームはそうでも、必ずそれが真実ではない。
まだまだマスターという域にはいけないな。。。。こんなことで寂しがっているうちは。。。