『あめ」と『むち』

ようこそお越しくださいました[わーい(嬉しい顔)]

『あめ』と『むち』 どちらもその子の成長に必要なものかもしれないのですが、私自身、どちらを気持ちとしてかけてもらえれば自分の中で成長していくことへの動機付けにつながるのだろう。。。今日はそんなことをふと思いました。

やりたいこと、きっと必要になると想うこと、そして自分自身の今の状況。。。。

自分の中では答えはあることは感じている。。。。そして、それに向かって歩いていこうとしていることも。。。言葉にはうまくできないけれど細胞全体から、声にしたくてたまらないものが今少しずつ色を帯びて、強く、大きく、まるで海の底からあぶくが水面に浮かび上がってくるように次第に大きく大きくその輪が拡がっていくことも一日一日実感していることだって感じている。

そう。。。。自分ではわかっている。。。ただ、その奥にある心細さも認めて欲しい。。。強いけれど、そんなに強くない自分だってまだいるのだから。。。。今、そんな自分を太く強くしなやかにしていこうとしている。。。。けれど、そんな自分を見ていても感じる心細さもある。。。。

私の可能性。。。この人には信じて貰いたい。。。認めてもらいたい。。。そして、あたたかい言葉で背中を押して貰いたい。。。。。そう、自分で決めても。。。そんな時でもひとことあたたかな表情で見つめて欲しいし、何か安心させて貰える言葉をその人にだからこそ欲しい時はたまにあるのだ。。。。いつもは『むち』で動ける自分がいても、心がゆるむからこそ勇気ある一歩が踏み出せるということもある。『あめ』を時には欲しい。

小さな一歩も必要だけれど、今の私は元気よく幅跳びのように飛び跳ねて踏み出すような、空に向かって跳び箱を飛ぶような。。。。大きな一歩を自分の中で感じたい時なのかもしれない。

そう。。。覚悟ができている人が学ぶところ、そういう気持ちになった時にはいつでも受け入れてくれるところ。。。
自分が決めていかなくてはならない。。。。。そんなことはわかってる。。。。ただ、その奥の少し弱気な自分を受け止めて欲しかっただけだったんだよね。。。期待して貰っているという実感を、私はただ感じたかっただけだったのかな。。。そう感じたり、それを要求するのは甘いことなのかな。。。

応援してもらっていることを感じながら、時々、崖下におとされているように感じる時がある。頑張って傷だらけになりながらも親ライオンの喜ぶ顔が見たくて登っていくと、その成長を見たらまた落とされるみたいな。。。登ってきたことについて頑張ったんだんだもん。。。。少しは愛されているのだと感じてから落とされるなら。。。きっと自らが喜んで強くなるために登る。。。。そのことがあっての覚悟を培う部分も私にはあるし、大きいと想う。

マスターという存在を考えたとき、『孤独』という言葉が出てきた。
『孤独』。。。孤独を感じている自分もいて、『調和』を求める自分がいて、いろいろな自分がいるのは当たり前。
でも今日の私は少し、『孤独』のなかに人と共にふれ合うことでの灯を灯したかったのかもしれない。
進化していく自分自身を一番認めてもらいたいと想う人が、自分に対してどう感じてくれているのかを。。。ただその表情や言葉から感じたかっただけなのかもしれない。

でも、『むち』だと感じる私がいることの意図は何なのだろう。
『あめ』を今日は欲しがっていた自分がいたのだろう。
だから反応した部分が『むち』と感じたから少し寂しかったと感じたのだと想う。

私の今日の声。。。そう感じたんだね。。。。少し寂しいと感じたんだね。。期待していたわけではなかったけれど、そばに少しでもいさせてもらえる許可がただ欲しかったんだね。そして、そこにこだわる不安を感じているんだね。。。。。大丈夫。。。。『いつでもその時は受け入れますのでどうぞ』。。。それはあきれているわけではない。。。。私のプログラムからきているフレームはそうでも、必ずそれが真実ではない。

まだまだマスターという域にはいけないな。。。。こんなことで寂しがっているうちは。。。
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