罪悪感はいらないな

ようこそお越しくださいました[わーい(嬉しい顔)]

久しぶりのブログ更新です。

相手の感情をそのまま貰ってしまうことがあるそうです。

その感情を、本当のところ感じているのは実は誰でしょう?
あなた自身ですか。。。。?

話の中で、言葉で、文字で、たまたまあなたに向けて発信された相手の感情をあなたのこととして受け取ってしまったことで、あなたがそのとおりにしなくてはならないような氣がしていたりしていることではありませんか。

しないことや、相手の反応次第で罪悪感を感じるようなことがある。。。。実はそれは、あなたが罪悪感を感じなくてもよいはずの相手の勝手なあなたへの感情のはけ口というような一方的な発信であることが多いのだそうです(その人の感情や反応、問題であって、あなた自身のものではないということなのだそうです)。

NLPコーチングでは、相手の気持ちや感情は相手に返すということをするワークがありましたが、日常でこのことに氣づくということが、まだ、なかなか身についていない私。

今日もひとつそんなことが起きました。

そこまであなたに言われることではないと思うのだけれど。。。。

確かに私も氣を使うべきところもあったと反省するべきところもありました。
でも、一方的に非難をされることですか[目]。。。というもやもやとした気持ちを感じたパート(身体の反応をする部分)がいたのも確か[ふらふら]

人間って、心の余裕がある時と少し疲れている時とでは、同じ物事、言い方に対しても反応の仕方やとらえ方の柔軟さが違う時がありますね。

その一言一言、一瞬一瞬の反応で落ち込んでしまったり、急に遠慮したい付き合い方になりがちになる私もいます。喧嘩をあえてする必要はありませんけど、『言いすぎではないかしら』と思うところはあるわけです。

相手の今の状態がもしかしたらこういういらいらしている状況におかれているのかもしれない、これはそのところにいる相手の感情であって、すべてをそのまま受け取らず、区別して相手に返すことで引きずられないところへ自分をもっていくことをすることが大事[目]

いろいろな波動がとびかう中にあって、それは自分自身からのものなのか、自分にただ乗っかってきているものなのかを見分けることが普通にできると本当にエネルギーロスが少なくなるのかもしれません。

人によって自分の軸がずれる
人の反応によって自分がなぜか罪悪感を感じ、委縮してしまう時がある  などなど

自分であやまるべきところは素直にあやまることは大切
でも、受け取る必要のない罪悪感をわざわざ受けて、自分自身が委縮したり傷ついたりするのは本意ではないし、それは自分の経験からきているものなのかどうかは検証したほうがいい。

デソシエイト(その場面にいる自分をそこに置いて、その自分自身や場面をもう一人の立場で外から見てみること)というようなことをすることで、相手の感情まで請け負っていることに氣付くだけで楽になることは多いように感じました[目]

それでもなんだか腑に落ちなかった私の未熟さを[ふらふら]、今日はブログに書くことでまた一歩、冷静なところから見たつもりになり、落ち着こうとしております[わーい(嬉しい顔)]

こういう場所があることに感謝ですね。
ありがたや。。。。今日だけは。。。。許してね[手(パー)]
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