なにより自分が一番楽しんでる

ようこそお越しくださいました[わーい(嬉しい顔)]

いま私は、菊池龍全さんのもとNLPコーチングのマスターコースを受講している最中ですが、その都度、講義が始まるまでの間の宿題が出ます。

前回提出の課題(宿題)は、『望みを叶えて生きている人とそうでない人との違いをつくる違いについて』

望みを叶えている人に共通していることを自分なりに探していくなかで、私は女子ゴルフの宮里藍プロのブログや彼女の試合後のインタビューなどを見たりしていました。
彼女には何か惹かれる言葉の重みであったり、ゴルフに向き合う彼女の姿勢というか生き方の軸になっているようなものが魅力を放っているように感じ、以前から興味を惹かれるところがあったことと、一球の重みを常に感じつつ自分自身をコントロールすることを試合の間続けられることへの精神力や自分を信じて試合に望むことが結果につながるということを誰よりも実践しているからこそプロであり、そのプロの中でも宮里藍プロに対するあこがれを口にする人が多いということ。。。。そこに隠されたエッセンスみたいなものが私にとって、課題に対する私なりの答えになりそうな氣がしました[ペン]

一言に影響力を感じるという部分では、同じゴルフの石川遼プロも同じようなすごさを感じますね[目]

その課題をすすめていく中で、もちろんどれが正しいかなんて無いのですが。。。。私は最後の感想をこんなふうに書きました。というか、こんな言葉が自然と出てきたといったほうがいいのかな。

以下、感じたことの抜粋

[ペン]
「自分の夢は何だろうか?」と不安になる。確かめられないからなおさらに。
ただ、それが確かめられるものであったからといって、私自身の夢だったと誰かに認められたら「そうだ、これが私の夢」と納得できるのか。。。
結局は、認めて価値を成すのはほかでもない自分自身だ。
自分が認め、育てていきたいと強く感じるからこそ夢の場面である。
まずは、自分がその夢を描いた主人公であることが大切で、だからこそ、自分が主人公としてその絵巻を演じきった時の喜びも大きく、そこから波及したエネルギーの大きさは波打って人に伝わっていくのではないか、それが歴史になるのではないかなと思う。
演じきる(生ききる)、それがかかわったものに記憶として、そして智慧として受け継がれていくということなのかもしれない。
描いた設計図を見なくても記憶するぐらいに常に手元に置き、ながめ、創造の過程を思案し、そのための材料は何が一番的確かを決める智慧を持ち、力を借り、そしてアイディアをめぐらせる。
なにより、その作業を一番楽しんでいるのがその人であることが、望みを叶えていく人に共通する真似したい部分だと感じました。 ~終わり~

その作業を一番楽しんでいるのが自分かぁ。。。。自分の言葉をまた今日読み返した時、自分の中の自分はそのことをよく知っていてわかっているというのに、『楽しむためにはこんなことも必要で。。。』と言ってる私もいるんだなぁということを再確認した次第で。。。。[ふらふら]
宮里藍プロや石川遼プロは、同じ楽しむためにはの部分の『こんなことも必要』という部分が叶えられないということへの逃げ場ではなく、叶えることが前提なら何があと必要になる部分だろうかという意識のとらえ方ができているからこそやるべきことが見えているということなのかもしれないし、それを着実に積み重ねていくことの大切さを大事に繰り返しているからこそみんなが勇気をもらえたり感動したりするプレーが出来るのかもしれないと感じます[ぴかぴか(新しい)]

私に質問[目]

あなたが夢を叶えている場面で、一番楽しんでいたのは誰ですか?

そう、それが私でありたいと強く思う。やりきりたい。生ききりたい。晴れやかな笑顔をみんなに見せていたい。
そんな場面を常に自分の胸に描いて、そのことに忠実でシンプルに取り組みたいと思います[かわいい]
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