見せられていく自分のテーマ

ようこそお越しくださいました[わーい(嬉しい顔)]

精神的な暴力を受けていることを心では強く感じているのにそういう人に惹かれてしまうという心理。。。それは心理で解明できることなのか、もしかしたら解明できないことが前提でそこにあえて自分の身を投じることを選んでしまうのか。。。。みなさんはどのように感じられますか[目]

今日、知り合い(まだ一カ月前に知り合ったばかりですけれど)の女性に食事に誘われお付き合いをしました。
寂しくて、孤独で、そしてその女性を裏切った友人の女性とその女性に中絶をすることを選ばせた男性が近々結婚をするといううわさを聞いたことでの不安定な心と感情の揺れをどうにも出来ず、街を徘徊してしまう自分がいることを氣づきながらそれを止めることができない心のうちがある彼女は、ホストクラブの男性に自分の声を褒めて貰ったことに唯一の自己認識の価値観を投影して、その男性の役に立ちたいと考え始めている。。。。でも、一人でホストクラブへ行くことを最近ためらうという。。。。彼に見えない言葉の暴力をいつかあびせられるような氣がする。。。。そう、なんとなく。。。。そのメッセージを確かに彼女は感じているけれど、そこを認めたくない。。。いや、認められない、認めると何かがきっと壊れてしまうと信じている[目]

ドメスティックバイオレンスを受けることを無意識で選んでしまう。。。相手が悪いのではない。。。その人のために自分が何かをしてあげられるの、そのことが相手とのつながりを強くしていく超えるべき試練なのだから。。。

試練、その試練は何を得るために。。。。
超えた先に見ている世界は歪んではいないのか。。その人がその人として本当に見たい世界に繋がる試練ならいくらでもぶつかり、傷つき、そこから這い上がればいいと思うけれど。。。。
歪んだ世界を見たくて無理に埋め込むピース。。。それは何?何のために、誰の世界のためのピースなのだろう。。。。[iモード]
あなたの世界のピースではない。だから苦しい。。。でもそれでも合うかもしれないという可能性を選ぶその想いの奥にある何かを見なくては自分の人生を生ききることを人に投影してしまうことになりかねないのではないのだろうか。。。。[目]。人が自分の人生を生きているのを見る時。。。そこに何が生まれるのだろう。。。。嫌悪、憎悪、悲しみ、自己の喪失。。。けして愛を感じることのできない自分を見下すような自分自身なのだろうか。。

その女性は、中絶で子供の命を断ってしまったことですべてのつながりを自分にはもう戻す事ができないという想いを抱え、深い傷を抱えたまま、時を止めてしまっているよう。
自分の中の女性性の断絶。。。嫌悪。。。そして同じく彼女の中に女性性と共にある男性性への恐れと服従。。

彼女のために出来ることがあるとすればそれは何なのだろう。
そして、多分、彼女の深い心の声をすくいあげていくことをすることで私自身も多分、同じような部分に対峙していくことになるのかもしれないと感じている。

自分の中にふたをしてしまったものが今は見えていなくとも、きっと出会う人を通して見ることになるはずなのだ。
『大いなる存在に委ねる』
目の前にいる人の声を。。身体を。。。言葉を借りて、大いなる存在が自分に見せてくれるもの、見せたいと願うものは何なのか。。。。そのことを自覚させられるようないくつもの出会いと場面があるように感じている[目]

自分のコアを十分に完全に受け入れている時、そこに見えるものと時空を超えて繋がる日もそう遠くないのかもしれない。相手の感情や想いを引き受けないで戻すことができるかどうかもそこが[パスワード]となるようになんとなく感じている。
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